切迫早産、ナメてました。

助産師やってましたが、自分が切迫早産なるまで、妊娠ライフ、ナメてました。

涙が止まらない。入院スタート。

さて、頸管が短いと診断され、1週間後、再受診へ。安静にしてたし、大丈夫だろうとシャワー浴びて、いざ出発。なんでこの時シャワーなんて浴びたかなぁ。

今は旦那と二人暮し。旦那はいつも9時過ぎなきゃ帰ってこれない、実家、義実家も遠くて、何かあったときはすぐには頼れない。

一応念のため、入院してもいいような準備をして行く。


いざ、診察。













20.1mm










じぃちゃん先生、「短い!何やってたの!こんなの赤ちゃん出てきちゃうよ!入院だから!」











えっ?

本当に?

嘘でしょ。

ヤバい、ヤバい、ヤバい。

どうしよ、えっどうしよ。

頭の中パニック。

とにかく入院だけど、そんなに短くなってたのかという、やっと事の重大さに気づいた。

入院って決まって、とりあえず冷静になって、準備してたものを取りに行って、すぐ点滴スタート。

リトドリン2A8滴で開始。

その間に旦那に連絡。

私の涙腺崩壊。

泣きじゃくりながら、現状の説明。

スタッフの前ではこんなところ見せたくないから、冷静にしてたけど、実家の母にも連絡して、号泣。

今でも思い出すと泣けてくる。

切迫早産って、診断されたら有無を言わさず即入院なんですよね。

ちょっと家に帰る、なんてことできなくて…

それはもう現実を受け入れられないというか…

だって普通に生活してたのに、いきなりですもんね。

自分自身は元気だし、なんともないのに、はい、じゃ、24時間点滴して、寝たきり生活してくださいって、ハァ?ってなります。

それがお腹の我が子の為とはいえ、いきなりのことなので…

あとは、今だから言えるけど、結局赤ちゃんのこと、全然考えてなかったんだなって。

自分本位に全部考えていました。

本当あの時の自分に、怒りたいです。

でも、それだけショックも大きくて、人生で一番辛い時でした。

この時25週3日。

事の重大さをわかってなかった私。

実際の現場で働いてて、切迫早産の方を見てきたのに、ちゃんと理解なんてしてなかったんだな。

切迫早産の方がどんな思いで入院してたのか。

ここから地獄の入院生活の始まり。



そしてさすが、昭和な病院。

切迫早産としか言わず、とにかく赤ちゃん出ちゃうからって説明だけで、他は説明なし。

ガンコなじぃちゃん先生の主観でしか話さない。いやそんな、説明求めてねぇよ。

危ないのはわかってるから、現状の詳しい内容と、入院生活について、退院の目処、治療方針とか、あるだろが。

頸管だって自分でエコー見て、やべってなったから入院受け入れたけどよ。

患者さんの立場になると、本当医者って偉そうにしやがってってイラついてました。特にじぃちゃん先生みたいなガンコな昔ながらのタイプ。

言い方悪いけど、患者さんを見下してるってタイプ、本当ムカつきますよね。

ちなみに助産師とは言ってません。

現場でもいい先生と↑みたいな先生と色々いました。やっぱり先生との相性って大事ですよね。あとは病院の方針。今は色々厳しいから、特に産科は特殊なので、きちんと、説明してくれるところが当たり前ですが、病院選びに失敗するとこうなりますね(笑)

いや笑えないけどな。


働いてたところと全然違うから、ビックリ。


モニターとるのに25週だから赤ちゃんの心音とれないって、やらねぇし、点滴もロック出来ないやつだし、なんなの、ここって感じでした。

しかも助産師もおばさん、もはやbbrおっと、て感じの人しかいなくて、その日の担当が、適当な人だったので、なんの説明もなし。とにかく寝てろだけ。

やっと部屋に案内されて、どこの昭和のホテルだよってお部屋。

個室だったから、一人になってからまた涙腺崩壊。なんでこんなことにってことばっか考えてた。

旦那が、まさかの夕方、仕事抜け出して来てくれた。

またもや号泣。この時すごい忙しい時で、毎晩午前様だったのに、仕事ほっぽって来てくれたこと、すごいありがたかった。

旦那が、先生と話したいと言って、話してる間、夜勤帯の助産師に変わって、座ってる私に、入院についての説明してくれた。

すごい厳しい顔して、

「今日から点滴してる間は、トイレ、洗面、食事以外は寝たきり、誰か来ても寝てて、立ったり座ったりしてもダメ。腹圧かかるから。基本仰向けもダメ、横向きでいること。シャワーは1週間に1回、先生の許可があってからだから。」とのこと。

なんなの、この偉そうな感じ。

つーか昼間から入院してんのに、今さら説明されて、その態度。

本当イライラする。旦那も戻ってきて、先生にキレてた←

書いてると本当文句しかない(´・ω・`;)

私の切迫早産ナメてました。な入院生活の最悪のスタートです。

私が切迫早産?

1月16日、健診に行く。

ちなみに、自宅から通ってた病院は個人院だけど、昭和な感じでおじいちゃん先生とおばさん助産師しかいないボロいとこで、まぁ、里帰りするから近いしいっかって感じで決めた病院でした。

これが後に大後悔となるとは、まだ考えもしてなかった時です。


さて健診で経腹エコーで待たされてて、横になって眠いなぁ〜なんて思ってると、隣で経膣エコーしてて、じぃちゃん先生が「短いよ!これ!入院だよ!」なんて言ってて、マジか、大変だなと聞いてたのをよく覚えてる。散々待たされて、経腹エコー終わって、この病院は毎回経膣エコーもする病院だったみたいで、マジで?とか思ってた。

そして私も測ってもらうと、

「短い!なんでこんな短くなってるの!本当だったら入院だよ!安静にできる!?でなきゃ、入院!」


はっ?マジで?えっ?私も?

うそうそ、おいおい。

プチパニック。

ついさっきまで他人事のように大変だなとか思ってたら、自分もかーい!って。

この時頸管28.8mmだったかな。

入院なんてしたくないから、安静にしますって約束してこの日は張り止めもらって帰宅。

帰ってからプチパニックで、とにかく安静にって思ってるくせに、スーパー寄ったりしてた。←

切迫早産って安静度ってちゃんとした基準がないんですよね。病院によって方針が変わるので、これは一概に言えるものがなくて、だからこそ切迫早産って聞いて、どう対処していいか疑問ですよね。

自宅安静って言われても家事はしなきゃならないし、誰が飯の支度してくれるの?って感じだし、普通に生活してたら動かないなんて無理ですよね?

しかも、安静って言われて、寝て過ごすのか、座っててもいいのかとか基準がわからないって。

私も働いてて、色々見てきましたが、総合病院だったこともあり、結構安静度ゆるかったんです。それが仇となりました。


だから、帰ってからもまぁ、おとなしくしてれば大丈夫っしょって変な自信を持ってて…どこから湧いたその自信←

家事とかも普通にこなしてた。

2日後、また再受診して、頸管27.7mmで少し縮んでるけど、自宅安静でって。

ホッとして、実家の母には帰ってきたらって言われてたけど、旦那残して帰れないってのと、まだ安易に考えてたせいで、地獄の入院生活が待っていました。

本当この時の自分にバカ野郎としか言いようがないです。

切迫早産ナメんな、と。

事の重大さわかってんのかと。

切迫早産ナメてました。

初めまして。1年前まで助産師として働いてました、mwです。

ただいま切迫早産のため、入院、手術を経て、無事に里帰りし、自宅安静にて現在進行形の私の暇つぶし備忘録、そして同じ切迫早産の方の暇つぶしになったらなと思い、書いてこうと思います。

助産師として働きながら、知識はあると思っていた、そんな自意識過剰だったクソな私の自己満Blogですが、お付き合いいただけたらなと。

ただ口が悪いので、暴言と、私の主観でしか書けないので、きちんとした知識が欲しい方や、気分を害してしまったら申し訳ありません。


まずは私の妊娠発覚から…


結婚して、仕事辞めて、式を挙げたら、すぐ妊娠。

とんとん拍子に進んで、何、あたし、今すげー人生設計順調に進んでるんだけど…と調子に乗ってた9月。

初期に出血があったものの、新婚旅行行っちゃったし、普通に色々楽しんでた。お金ないのも嫌だし、少し働くかってベビーシッターやったり。

この頃つわりはあったけど、吐いたりしなかったし、元々ぽっちゃり…うん。だから少し痩せれたのと、これがつわりかぁ〜( ´ ▽ ` )ノなんて、他人事のように考えてた。赤ちゃんも成長してたからね。

この時は順調なマタニティライフを送ってたなぁ。

うちの母親が子宮口強靭とか言われてたから、私も頸管、頑丈だろとか軽く考えてた。

初期の流産も免れたし、この子強いんだなとか、本当私、バカ野郎でした。

クリスマスも楽しんで、風邪ひいたせいで旦那の両親に心配されて、義実家には帰省せず、私だけ実家で、ぬくぬく。新婚なのに別々かーいって(笑)

お正月楽しんで、自宅戻って旦那の誕生日だったから、近くだけど、温泉旅行も行って、里帰りまでは旦那との時間を楽しもうと、ルンルンしてた。

里帰り先でも中期受診したけど、順調ですねで終わった。

自宅に帰ってからも一応、健診行くかって行ったら、ここから私の切迫早産ライフが始まりました。